節分には鬼を追い払う豆まきのイベントがあります。鬼は怖い姿をした魔物というイメージが強いですが、昔から形あるものだけを払うわけではありません。昔から邪気や病気は鬼が振り撒く粉のようなもので、鬼同様に払うべき災いと考えれれてきました。
この節分に関して、もしかしたら?と思えるようなことがあったのでご紹介します。

先日、安倍晴明に関する番組をみました。安倍晴明といえば、平安時代の有名な陰陽師。この安倍晴明の活躍する時代、節分に行ったのが「追儺」という儀式。現代の豆まきのルーツとなる行事です。追儺はもともと中国で行われていた行事。新しい年に除災招福を願い、疫病から身を守り、大声で鬼を追い払う儀式だそうです。
この時代の日本の文化は中国の影響を大きく受けた時代。陰陽師の「陰陽」もやはり中国思想の影響を強く受けたと思われます。
さて、この行事の名前「追儺」は「ついな」と読みます。私たちが行なっている手技は「推拿」(すいな)ですが、発音的には「tuina」となり同じでは?などと勝手に考えてしまいました。
こじつけなのかもしれませんが、祭祀も醫学も始まりは占いのようなもの。同じ起源だと考えるとあながち間違いではないかもしれません。推拿は「手」。追儺は「大声」。やり方は違いますが、どちらも病を払う意味では同じです。
どちらも長い年月を経てもなお今に残るのは特別な理由があってのことではないでしょうか?
鬼の存在など迷信と考えられる現代ですが、コロナの世界的流行を目の当たりにし、鬼の仕業のような何か?を感じるような局面にもあるように思えます。
今年はコロナが終息することを願うばかりです。推拿も行なっていきますが、節分は迷惑にならないよう大きな声で豆まきをしたいと思います。
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